未成年者の選挙活動禁止の違憲判決

 令和8年9月25日、東京地方裁判所は、18歳未満の者の選挙運動を罰則付きで禁じる公職選挙法の規定は、表現の自由を保障する憲法21条に違反するとの判決を下したとのニュースを目にしました。なかなかに画期的な判決です。
 子どもたちが社会の問題に関心を持ち、それについて自分の考えを持ち、他者との間で理性的な議論ができるような資質を育むことは、子どもたちが社会に出るにあたって、とても大切なことです。その過程で、自らの主張を表明したいと考える子どもたちが出てきたとしても、至って自然なことであって、その手段として、子どもたちが「自発的に」ある候補者を応援するようになったとして、その何がいけないのか、常々疑問に感じてきました。これを表現の自由を前提に正面から論じた東京地方裁判所の判断は大いに評価できますし、今回の判決を勝ち取った原告代理人の弁護士の皆様には、本当に頭が下がります。

 一方で、裁判所の判断は、18歳未満の未成年者を「使用」して行う運動の禁止規定については、合憲としています。これについては、意見は分かれそうですが、私は、現状では、やむを得ない判断だと思います。子どもたちが、自らの意見を形成する前に、他人の意見に従って活動することは、自発的な意見形成を阻害することになりはしないかという懸念があるからです。
 ある大人が、その人的関係を前提に「この候補者は素晴らしいから」と子どもたちに伝えて、選挙活動に協力するよう要請したという例を考えてみましょう。このとき、子どもたちに、この候補者が本当に素晴らしいかどうかを自らの意思で判断することができるだけの資質や能力が備わっており、また、その候補者を応援したくないと考えたときに、その申出を断ることができるだけの自由が確保されていれば、私の考える懸念はあたりません。しかし、今の世の中、その自由が子どもたちに確保されていると言えるでしょうか…。残念なことではありますが、私は、まだそこまでの信頼を置くことは難しいと思います。

 もっとも、未成年が「自発的」に選挙活動を行っているか、「使用」されて選挙活動を行っているか見分けがつきにくい場合が多いようにも思われ、後者の制限が合憲とされていることにより、未成年の「自発的」な選挙活動が萎縮してしまうという心配もあります。つまり、ある未成年者が、自分の意思で「自発的」に選挙活動をやりたいと思っても、選挙活動をしている大人が、「あたかもその未成年者を『使用』しているように見えたら、警察から文句を言われかねない」と考えれば、その選挙活動から、その未成年者を遠ざけようとするでしょう。
 それでは、本末転倒ですから、実際の運用は、あくまで選挙活動の自由を原則とし、「使用」に該当するか否かの判断は極めて厳格に行うべきと考えますが、実際の運用はなかなか難しいかもしれません。

 その意味でも、子どもたちが自分の意見を持ち、自信を持って意見を言えるような成長を育むことが大切です。私は、法教育と主権者教育は、ほぼ同義だと思っていますが、そのような成長を促す教育こそが「主権者教育」として積極的に行われなければならないと、思うわけです。また、大人の側も、未成年者の意見を「一人の主権者の意見」として尊重する姿勢が大切になります。(子どもたちの教育よりも、そういう大人の姿勢を育むほうが難易度が高いかもしれませんね(苦笑))。
 もちろん、発達段階によっても異なると思いますが、そのような教育の実践が行き渡り、子どもたちも大人も、自由に意見を表明し、相互にそれを尊重し、自らの意思に基づき選挙活動を行えるようになれば、世の中も大きく変わると思うんです。厳しい道のりのような気もしますし、実現可能かどうかも分かりませんが、それを目指すことは自由であり、私も、微力ながら、その一翼を担うことができるといいなぁ…と思っています。