法教育とは?

 法教育の定義は論者によって様々に言われるのですが、私は、「法の基本的な価値を理解するとともに、これを活用し、論拠に基づく理性的な議論の技能を育む教育」と考えています(これに派生して様々な効果があるのですが、おおもとはそこかなと)。
 ただ、これ自体、何だか難しそうで、とっつきにくい印象を与える表現です。
 私は、難しいことはキライなので、研究者の皆さんの批判を覚悟しながら、よりわかりやすく、ぶっちゃけてみたいと思います。

 法の基本的価値の中で、最も大切なのは、「個人の尊厳」です。要するに、ひとりひとりが大切な存在であって、尊重されるべきであるということです。
 ひとり一人というのは「自分」と「自分以外」です。意外と、この「自分」を大切にするということを忘れがちなのですが、まず「自分」が大切な存在だということを忘れないで下さい。その上で、「自分以外」も大切にするということなのです。
 ただ、ここで、一つの疑問が浮かぶかもしれません。「自分」を大切にしながら、一方で「自分以外」も大切にするにはどうしたら良いのだろうと。
 そうなんです。自分にも意見があれば、自分以外の他人にも意見があります。これを一致させることはできませんし、自分以外の他者も、自分と等しく大切な存在である以上、完全に一致させようと試みるわけにはいきません。
 要は、意見が「対立」するということなのですが、この「対立」があるということは、一人ひとりが自分の意見を言えるからこそ発生する現象であり、むしろ、個人が尊重されているかどうかという観点からは、理想的な状態です。

 しかし、「対立」したままでは何の解決にもなりませんので、話し合いをして、何らかの形で「合意」を目指すことになります。(これが、中学校の公民の教科書に出てくる「対立と合意」というものです。)
 じゃあ、どうやって「合意」を目指せばいいんだろう? 暴力で解決するなんて論外ですし、大きな声で威圧する話し方をする人の意見が常に通るということじゃダメだということは何となく分かりますよね?
 そのスキルを理解することで、社会に出たときに、様々な意見が飛び交うこの社会において、上手に話し合いを行い、自分も他人も大切にしつつ、良い関係性を保ちつつ、最善の解決を導きながら、豊かな人生を送ることができるようになります。

 ちなみに、法律は、その話し合いによって完成した「自分も他人を大切にしながら、世の中の対立を調整するため」のツールです(存在意義はそれだけではないのですが、法とは何かという観点から考えると、このように整理することになります)。
 「法教育」は、その調整の結果として既にツールとして存在している「法律」の中身を学ぶものではなく、その一つ前の段階、いわば対立を超えて合意するために必要な知識とスキルを学ぶものだと考えていただければ…と思います。

 このホームページでは、このような「法教育」の教材を、順次公開させていただく予定にしており、ここだけでは書き切れない細かなことについては、それぞれの教材の冒頭で、私なりに説明したいと思います。
 興味を持っていただいた皆さま、今しばらくお待ちください!