以下で、論考「発達段階に応じた主権者教育と弁護士・弁護士会の役割」の内容をご紹介しています。
本稿は、2021年に開催された中部弁護士会連合会定期弁護士大会のシンポジウム「 民主主義の実質化に必要な主権者教育(法教育)~弁護士に何ができるか~」の大会報告書に所収されたものです。
このシンポジウムは、市民に公開されたものでもあり、ここに掲載することは差し支えないとの判断でご紹介をさせていただいておりますが、中部弁護士会連合会より要請があった場合は、予告なく、削除する場合がございますので、予めご了承ください。
発達段階に応じた主権者教育と弁護士・弁護士会の役割
1 はじめに~主権者教育とは
言うまでもなく、日本においては、主権は国民にある。すなわち、社会的な様々な問題が発生した場合、その解決の手法は究極的には国民に委ねられ、一為政者によって解決されるわけではない。
そして、国民は、人間であり、個人である。世の中ではAI(人工知能)に解決を委ねる場面も多くなったが、人間であり、個人であることには、AIとは異なる強みがある。それは、一人ひとりが異なる意見や感性、価値観を持っていることである。そうであるからこそ、一人ひとり異なる人間が、互いの考え方を持ち寄り、感性を働かせつつ、他者との間で協働し、議論し、意見交換をしながら、目的に応じた最も良い解決を導くことができる。それにより、一人ひとりが個人では考えも付かなかったような、 新たな解決や豊かな社会を作り出すことができるのである。
国民主権を前提とする、そして個人が尊重される立憲民主主義社会においては、そのような人間としての強みが生かされることに最大のメリットがある。従って、主権者教育とは、上記のような資質や能力を育むようなものでなければならない。より具体的に言えば、正解が一つに定まらないような問題に対して、児童生徒が自分の意見を持ちつつ、異なる意見や対立する意見を整理して議論を交わしたり、他者の意見と折り合いを付けたりする中で、納得解、最適解を見出しながら合意形成を図る過程に関する学習が必要だということである。このことは、2021年3月31日に取りまとめられた、文部科学省に設置された主権者教育推進会議の最終報告「今後の主権者教育の推進に向けて」においても、指摘されているところである。
そこで、このような主権者教育を実現するために、どのような教育を行っていくことが重要であるのかについて、以下、考えてみることとしたい。
2 主権者教育の対象
主権者教育というと、成年年齢引き下げとリンクして語られることが多かったように思われる。特に、主権者教育を、いわゆる選挙教育に近いものとして考えられていた初期段階においては、成年年齢引き下げというよりも、選挙権年齢の引き下げに絡めて議論されていた。実際、主権者教育における外部講師として誰を招いたかというアンケート結果によれば、選挙管理委員会や明るい選挙推進協議会の割合が圧倒的に多く、また主権者教育として投票活動などの選挙制度についての教育を重視している学校も多いようである。もちろん、選挙は、社会参画の重要な手段であるから、選挙の意義を教えたり、模擬投票を行うような授業を否定するつもりはなく、投票率向上が、主権者教育における教育効果の現れの一つであることも事実であろう(但し、あくまでも一つの側面に過ぎないものであることは強調しておく)。
しかし、そのような過程を経たことで、そうした「選挙教育」こそが主権者教育だという考え方が生まれてしまったことは否定できない。それが主権者教育であるとするならば、初等中等教育段階で主権者教育を行うことの意義は、ほとんどないことになるが、それは大きな誤解である。
新学習指導要領(社会科、地理歴史科、公民科)では、「社会的な見方・考え方」がキーワードになっており、高等学校公民科においては、「社会的な見方・考え方を働かせ、現代の諸課題を追究したり解決したりする活動を通じて、(中略)平和で民主的な国家及び社会の有為な形成者に必要な公民としての資質・能力」を教科目標においている。
ただ、高等学校だけではなく、中学校社会科、小学校社会科の教科目標においても、ほとんど同じ文言が記載されている。異なるのは、「…必要な公民としての資質・能力の基礎」という最後の3文字程度であり、高等学校公民科で学ぶことの基礎を初等中等教育段階で学ぶとされている。このように、小学校社会科、中学校社会科における学習は、高等学校における地理歴史科、公民科に向けた一貫した学習過程と位置づけられている。
主権者教育のシンボル的存在である高等学校公民科の新科目「公共」も同様である。言い換えれば、この「公共」の授業に向けて、初等中等教育の段階で基礎を学ぶということになっている以上、小学校・中学校で可能な主権者教育が実施すべきことは、学習指導要領自体が、当然の前提としているのだということである。
※ なお、幼稚園教育要領においても、「幼児が他の幼児とのかかわりの中で他人に存在に気付き、相手を尊重する気持ちを持って行動できるように」「互いに思いを主張し、折り合いを付ける体験をし、決まりの必要性などに気付き、自分の気持ちを調整する力が育つように」するよう留意すべきとされている。
すなわち、初等中等教育段階はもちろんのこと、幼児教育の段階からも主権者教育は始まっていると言うことができよう。
※ 今回行われたアンケートの中には、「学習指導要領が十分内容が充実している」「学習指導要領に沿った授業を行えば問題ない」から、敢えて「主権者教育」の充実を特別に考える必要はないのではないかとの意見もあった。ただ、前記の通り、文部科学省が「主権者教育推進会議」を設置して、報告を求めたという経緯に鑑みると、「主権者教育」という言葉を無視することは出来ないように思われる。
もっとも、新学習指導要領の内容は、過去に比べてかなり充実しており、学校現場において、教員がそれに沿った授業を行う限りにおいては、それで問題ないとする考え方もあり得よう。ただ、そうなると、本来の主権者教育の意義に着目されないまま、「授業として成立させる(=指導計画をこなす)」ことに重点が置かれるのではないかという懸念もある。そのため、ここで改めて「主権者教育」を再構成し、学校現場に呼びかけるということには、相応の意義があるものと考えている。
3 発達段階と主権者教育
(1) このように、初等中等教育段階から育むべき資質・能力に違いはなく、主権者教育推進会議においても、この段階から、児童生徒が、社会で起きている事柄に興味・関心を持ち、実感をもって考えさせるような取り組みが行われるべきとしている。
しかし、その発達段階に応じて、児童生徒が所属する社会の大きさが異なり、そのために把握できる世界が異なる。また、想像力を働かせる力も発達段階に応じて、異なるであろう。そのために、実感を伴った学習を実現するためには、その点に考慮する必要がどうしても出てくる。
例えば、小学校段階においては、自分が実体験した事柄でなければ、実感をもって受け止められにくい。一例として、児童が直に接することができる販売者との関係は実生活の経験に結びつく身近なことと言えるが、生産者との関係を把握することは困難であろう(そうであるからこそ、この発達段階においては、社会見学や体験学習が大切なのである)。しかし、小学校高学年になれば、法や政治という目に見えない遠い存在であったものが、生活を取り巻く「身近な」ものであるという感覚が育まれてくる。そして、中学校段階になると、社会生活を営むために必要な、背後にあるルールの存在が意識されてくる。
このように、発達段階に応じて、「社会で起きている事柄」の範囲が変わってくることから、その点を意識しないといけないことになる。
(2) 以上のような初等中等教育段階での主権者教育により、基礎を身につけた児童生徒が高等学校で受けることになるのが新科目「公共」であり、主権者教育の中心として位置づけられている。実際、主権者教育推進会議においても、その最終報告を見る限り、高等学校における主権者教育の取り組みを充実させるための方策としては、本科目の新設による新学習指導要領の下での指導の充実に尽きると考えられているようである。
そのような「主権者教育の一丁目一番地」としての新科目「公共」について、紙幅の関係で詳細な説明を加えることは差し控えるが、重要と思われる箇所を、いくつか指摘してみたい。
ア 新科目「公共」では、大項目として、「A 公共の扉」「B 自立した主体としてよりよい社会の形成に参画する私たち」「C 持続可能な社会づくりの主体となる私たち」の3つを定めており、「A 公共の扉」は、B・Cの学習的な基盤を扱うこととなっている。その具体的な学習事項について、学習指導要領解説では、以下の通り、説明している。
「 人間は,個人として相互に尊重されるべき存在,対話を通して互いの様々な立場を理解し高め合うことのできる社会的な存在であり,倫理的主体として,行為の結果である個人や社会全体の幸福を重視する考え方や,行為の動機となる公正などの義務を重視する考え方などを用いて,行為者自身の人間としての在り方生き方を探求するとともに,人間の尊厳と平等,個人の尊重,民主主義,法の支配,自由・権利と責任・義務など,公共的な空間における基本的原理について学習する。」
以上の点からも明らかなように、記述されているのは、法の基本的価値そのものだと言って良い。すなわち、以上のような「法の基本的価値」こそが、新科目「公共」の基礎とされる部分であり、言い換えれば、主権者教育の肝となる部分だということである。また、初等中等教育段階においては、これらの事項について、発達段階に応じて可能な範囲での習得を目指すこととなるわけで、いわば、小学校・中学校における主権者教育の指針となるべき部分であるとも言える。言い換えれば、小学校・中学校段階においても、法の基本的価値を育む教育が重要だということである。
イ また、新科目「公共」では、「現代の諸課題を捉え考察する」ことが重視されており、そのために、その課題を選択・判断するための手がかりとなる概念や理論について理解するとともに、諸資料から,自ら主体として活動するために必要となる情報を適切かつ効果的に調べまとめる技能を身につけることとされている。
この中には、情報の信頼性や客観性、真偽などについて適切に吟味するという視点も含まれており、情報化社会において、自らの主張を形成する論拠となるべき情報の収集と選択の重要性が指摘されていると言える。
ウ 最後に、新科目「公共」では、事実を基に多面的・多角的に考察し公正に判断する力や,合意形成や社会参画を視野に入れながら構想したことを議論する力を養うものとされている。いわば、他者の意見を冷静に分析しつつ、収集した情報を取捨選択し、依拠すべき論拠を発見し、それに基づき理性的に議論をすることを可能とする能力を育むということである。
以上のように、法の基本的価値を含む原理を知識として学び、これを基礎として、適切な情報を取捨選択して収集し、かつ適切な情報を主張の論拠として相互に議論することができれば、冒頭述べたような「納得解、最適解を見出しながら合意形成を図る」という理想的な社会の在り方に近づいてゆくことになろう。その意味では、新科目「公共」には、期待するところが大きい。
4 主権者教育に対する課題
以上の通り、主権者教育を充実させることには大きな意義があり、その主権者教育は成年年齢が近づいた高校生のみならず、小学校・中学校においても重要なものである。
ただ、主権者教育を充実させることには、いくつかのハードルもある。
1つは、主権者教育に対する教員の経験値が、必ずしも高くない可能性があるということである。主権者教育推進会議の最終報告でも、「教師は生徒に対し常に『正解』を伝えるものという、いわゆる「正解主義」を乗り越えて、「学びの主体」である児童生徒自身の力量形成に向けた授業改善を推進するため、国による副教材や教師用指導要領の作成、学校・教育委員会とNPOシンクタンク等とが連携した取り組みの推進が求められる」と率直に述べられている。全ての教員に課題があるというわけではないが、全ての生徒に主権者教育を行き渡らせるには、心許ない状況であることは事実である。
もう1つは、政治的中立性の問題である。主権者教育においては、社会で起きている事柄を題材にすることが重要である。そこに興味・関心を持つことが、社会参画の意欲に繋がるからである。しかしながら、こうした現実の問題や政治的な問題を扱うことについて、教員の側が明らかに萎縮している。実際、アンケートにより、主権者教育を行うにあたって困っている点について指摘いただいたところ、政治的な事象を扱うことの難しさを指摘する声が、相当に多かった。かような状況では、主権者教育の効果を上げるべき素地ができているとは言い難い。
※ 令和元年度に文部科学省で行われた主権者教育(政治的教養の教育)実施状況調査の結果、主権者教育を実施した又は実施予定と回答した学校が95.6%であったにも関わらず、「現実の政治的事象についての話し合い活動」に取り組んだ例は、3割強程度しかないことが明らかとなった。
この点について、主権者教育推進会議は、平成27年通知(27文科初第933号)において、具体的な政治的事象を扱うことを積極的に行うことを明確化したにもかかわらず、このような調査結果の示している現状は、主権者教育を推進する上での課題の重大さを示すものだと警鐘を鳴らしている。
なお、主権者教育推進会議の中では、「過度に政治的中立性を意識するあまり、授業において現実の具体的な政治的事象を取り扱うことを躊躇しているのではないか」「(同通知において)『指導に当たっては、教員は個人的な主義主張を述べることは避け、公正かつ中立な立場で生徒を指導すること』とされていることに関連し、授業において議論を深める場合の指導上の工夫として教師が個別の課題に関して特定の見解を取り上げることも避けるべき、と受け止められているケースもあるのではないか」といった指摘があったようである。
※ この点に関し、主権者教育推進会議の小玉委員が、最終報告が取りまとめられた際の会議(2021(令和3)年3月31日)の中で、以下の通り述べている。示唆に富む発言であるので、やや長文であるが、紹介させていただきたい。
「 今回の最終報告案で、一つこれまでの文部科学省の政策より一歩踏み込んでいるというふうに考えているのは、これは座長のイニシアチブもあって盛り込まれたんですけれども、ドイツをはじめとする諸外国で行われている政治教育においては、中立原則について、いわゆる政治そのものを避けるのではなくて、対立や論点そのものと向き合うということで、政治的な当事者も含め論争的な問題に向かうことを前面に出した政治教育を推進しているところがあります。それをかなり意識した内容が盛り込まれておりまして、2015年、平成27年の通知で、18歳選挙権によって大きく方向性が変わった日本の主権者教育の具体的なあり方を、具体的には11ページから12ページぐらいのところで、ドイツやイギリスのシティズンシップ教育や政治教育の母体となっている政治教育センターのようなものを、日本でも、第三者機関やNPOを活用しながら事実上それに近い形のものを位置づけられないかという提言が盛り込まれております。これによって現場の先生方が、政治教育や主権者教育に対して萎縮せず取り組む環境を整えることが可能になるのではないかと思っております。ここのところはかなり今回の報告案の歴史的な部分として評価いただけるのではないかと考えております。
ちょうど昨日ですか、再来年度から使用される予定の高等学校の教科書が発表されたことが報道等で話題になっておりますけれども、タイミング的にはそこを狙ったわけではなくて、結果的にコロナで遅れたということなんですけれども、しかしながら結果的にそういう高等学校の新学習指導要領に基づく教科書の公表と合わせる形でこの提言が発表されることになったのは、非常にいいタイミングだったというふうに考えております。ぜひ現場の先生方、あるいは生徒が、前向きに主権者教育、政治教育に取り組めるような環境の整備に私どもも心がけていければというふうに思っております。
折しも今、諸外国でも、例えば香港やミャンマー等に見られるように、民主主義を求めて立ち上がっていく運動、しかしながらそれが十分に貫徹できないような国が現状ある中で、権利や民主主義というものは、実際に主権者が行動し、勝ち取っていくものだという観点を肝に銘じながら、ぜひ主権者教育に取り組んでいきたいと考えております。」
5 主権者教育に対する弁護士の役割
言うまでもなく、教育現場において主体的な役割を担うのは教員である。ただ、これまで述べてきたとおり、主権者教育における指導のあり方は、これまでとは相当異なるものである。正解のない課題に対する解決能力やそこに至るための議論の技能、さらにその前提となる法の基本的価値など、知識を正確に伝えることはもちろんのこと、態度や振る舞い方にまで影響を与えるような指導が望まれる。
こうした大きな課題に対しては、長期的には、教員自身の自己研鑽や、国や地方公共団体の制度設計、研修の充実による解決も考えられよう。しかし、こうした指導に際しては、専門家との連携し協働することで実現できることも多い。現に、教科の内容に関係する専門家や関係諸機関等と円滑な連携・協働を図るべきことは、学習指導要領が要求するところでもある。
その専門家の中でも、主権者教育の充実のために、弁護士が果たすことができる役割は、以下に述べるとおり、非常に大きい。弁護士が主権者教育に関わることのメリット、そして教員との協働のあり方について、考えてみたい。
(1) 弁護士は、法の専門家であり、かつ議論や交渉の専門家としての役割を有している。既に述べたように、新科目「公共」における「公共の扉」で指摘されているのは、法の基本的価値そのものであり、これを法の専門家である弁護士が助力することは、自然なことである。さらに、弁護士の職務は、こうした法の基本的価値を念頭に置きつつ、論拠に基づいて理性的に物事を解決することにあり、その点については、法律学者にも教育学者にもない強みである。すなわち、弁護士が、児童生徒に、議論の在り方を指導する際には、自らの職務上の経験を踏まえることができるわけだが、実体験を伴った指導には迫真性が伴い、児童生徒の興味や関心をより大きく呼び込むことができる。それは、児童生徒が社会を想像する契機になるであろう。
指導の中身から、指導の方法論、さらに児童生徒の社会に対する興味・関心につながるという意味では、学習指導要領が予定する外部講師として、これ以上ない人材と言って良いであろう。
(2) また、弁護士は、一般的にも、法律のプロであると同時に、議論や交渉のプロだと評価されていると思われるが、その「プロ」が述べることが、児童生徒自身が考える意見と異なっていれば、単に「相手の言っていることがおかしい」ではなく、「自分の考えと違う考えがあり得るんだ」と素直に受け止められる可能性が高い。これまでの実践授業では、生徒だけの議論に委ねるのではなく、弁護士が生徒が議論するグループに入り、助言したり、生徒とは異なる意見を述べて、考えを「揺さぶる」ということがよく行われるが、そうした揺さぶりは生徒同士の議論ではなかなか生まれない。少数派の意見や生徒が思いつかないような意見を弁護士が述べることで、それが生徒の考えに効果的に作用するということは、授業に参加したことがある弁護士であれば、何らかの形で経験したことがあるのではないかと思われる。(もちろん、こうした助言を行う場合に、弁護士が、児童生徒の考えが間違っているわけではないとフォローすることが必要であるし、出前授業に出向いた弁護士は、必ずそのフォローを行っているはずである)。
さらに、弁護士が複数人で出向いて、模擬討論等で、それぞれが異なる見解を述べたとすれば、その「プロ」の間でも意見が違う場合があることを実感することができるであろう。さらに、この手法であれば、複数の政治的見解を複数の弁護士が述べたとしても、政治的中立性の問題は起こらない。
(3) これに加え、弁護士が表に出ず、学校現場を裏から支えるという連携のあり方も考えられる。
従前より、法教育研究会等で連携が取られてきた弁護士会も多くあることからも明らかなように、授業作成や教材作成においても、弁護士の力が発揮される場面は大きい。上記のような「プロ」としての視点から授業案や教材を作成することはもちろんのこと、特に、教育現場が、政治的中立性に過敏に反応し萎縮しているという問題に対しては、弁護士が教員と連携しつつ、中立性を保つことを念頭に教材を作成するということが有効であろう。また、現実的な問題を扱う授業について、弁護士の側から中立性に問題ないとの指摘を与えることができれば、学校現場も安心して、授業に取り組むことができるであろう。
また、法の基本的価値をわかりやすく教員に伝えたり、また「正解主義」を乗り越えるための指導の手法や議論の方法などを紹介するような、教員のための研修を弁護士会が開催したり、または教員の研修の場に弁護士が出向くことも、大きな意義のある活動と言えるであろう。(このような活動についても、多くの弁護士会で実績がある。)
6 弁護士が行ってきた主権者教育に係る授業について
もっとも、これらについては、多くの弁護士・弁護士会が「法教育」として長年行ってきた活動と、さほど変わるわけではない。むしろ、こうした「法教育」に関する活動の意義と重要性が、結果的に、現在議論されている主権者教育の議論の過程で追認されたのだと評価することもできるだろう。
従って、弁護士・弁護士会としては、これまでの活動の方向性を維持しつつ、主権者教育の趣旨や目的も念頭に置き、さらにその課題を解消させる努力をしながら、学校現場や教員はもちろんのこと、教育委員会等の関係諸機関と連携することが重要であり、現にそれに向けた活動を行っているところである。
そこで、以下では、弁護士会が、法教育ないし主権者教育として行ってきた各種活動の意義について、触れてみたい。
【 中 略 】
7 まとめ
民主主義の充実のためには、主権者である国民が積極的に社会に参画することが必要であるが、それは単に投票に出向けば良いと言うことではなく、投票の質、すなわち自らの意見をいかに形成するかという視点が重要である。
また、自らの意見を形成する過程として、独りよがりにならず、他者と様々な意見交換し、議論することが重要であるが、感情的にならずに理性的にならずに議論を深めるためには、これまで述べたように、身につけておくべき資質・能力がある。それを育むものが主権者教育なのであり、その充実は、民主主義の実質化に必要不可欠なものである。
そうした、あるべき主権者教育を、できるだけ多くの児童生徒に行き渡らせることが何よりも重要であり。それが将来を担う子どもたちに、私たちができる最高のプレゼントだと、私は、信じている。
以 上